「佐世保女子児童殺人事件をどう生かすべきか!」
躑躅(つつじ)やさつき並びに薔薇(ばら)はもうそろそろ見頃を過ぎましたが、もう暫くすると紫陽花(あじさい)が美しい頃となります。我が国は、はっきりした四季に恵まれ、7割を緑の山々が覆い、日本全国で美しい水に恵まれ、美味しい水を飲む事が出来る。周りは自然の要塞とも言うべき広い海に囲まれ、多くの海産物に恵まれ、実に恵まれた国土です。
特に、桜花から始まり多くの美しい花々が咲き続ける4月から6月にかけての季節を迎える度に、「美しい国土に恵まれた我が国に生まれ、育ち生かされていることは本当に有り難い」という気持ちを新たにしております。そして素晴らしい国土に恵まれているだけではなく、我が国ほど素晴らしい伝統・文化・歴史並びに多くの素晴らしい祖先、先人にも恵まれている国は世界にも類がないと言っても良いでしょう。
アインシュタインが、大正11年に我が国を訪れた際、「将来、人類が一つになる時がくるとすれば、その中心となるのはこの日本をおいて他にない。私は神に感謝する。神がこの様に素晴らしい国を造っておいて下さったことを……」という意味の言葉を残しているそうですが、そのアインシュタインの言った意味が私は極く素直に理解出来ます。
処が、誠に情けないことに、戦後の我が国は、長く続いた偏向教育と偏向報道の為に、多くの日本人が日本人としての自信と誇りを失いつつあります。その大きな原因は、マッカーサー・GHQが7年間続けた日本人精神弱体化政策「3R5D3S政策」並びに「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」による、(占領国の一方的な報復劇であった)「東京裁判」、(フィリッピン憲法を基にして僅か一週間でマッカーサーの若い部下に作らせた)「押し付け占領憲法」並びに前述の偏向教育と(強制された)偏向報道等が上げられます。それらによって戦後の我が国は、国家としての最も大切な根幹、日本人としての自信と誇りをずたずたにされてしまいました。但し、今となってはいつまでもマッカーサーやGHQばかりを恨んでいる訳にはいきません。これまでにも何度も書いているとおり、マッカーサーの日本人精神弱体化政策を、同じ日本人でありながら悪用し続けてきた日教組、日本共産党、(旧)日本社会党の様な反日団体並びに朝日新聞やNHKの様な反日マスコミが戦後の日本を無茶苦茶にしてきました。
我が国の戦前・戦中において反省すべきところはもちろんあるでしよう。そして、大東亜戦争(太平洋戦争)に惨敗を喫した事も間違いなく厳然たる事実です。しかし、だからと言って、戦前・戦中の我が国を全否定する様な考え方は実におかしな考え方であり、それは余りにも幼稚過ぎるのであり、完全に間違っていると言わざるを得ません。
反省し、改めなくてはいけない点と、自信を持って後世に受け継いで行かねばならない面とをしっかりと識別する考え方が普通の大人の考え方のはずです。処が、戦後の我が国は、実に情けないことに、まるで子供の様な判断基準で60年近くを経てしまいました。
その弊害はあまりにも大きいと言わざるを得ません。戦前・戦中だけではなく、戦後と言えども、昭和20年代から30年代にかけては全く想像も出来なかった事件が近年、次から次へと起こっています。
その様な中で既報のとおり、6月1日、長崎で、何と小学校6年生の女子児童が同級生をカッターナイフで斬り殺すという全く信じられない事件が起きました。殺人の動機は、(当初は)「ホームページに自分の容姿等に関して許せない事を書き込みされたから」「良い子ぶっていると書き込みされたから」という事の様でした。処が、その後6月4日付けの産経新聞によると、殺人犯児童と被害者児童のインターネット上でのチャット(言葉のやり取り)の中で、「うぜークラス つーか私のクラスってうぜーって」「高慢でジコマン(自己満足)なデブス(デブでブス)」「下品な愚民や」「喧嘩売ってきて買ったら『ごめん』と言って謝るヘタレ(根性無し)や」…… 等々凄まじいばかりの言葉が並んでいたということです。これらが極く普通の小学6年生女子児童の言葉とは信じられません、全く異常です。しかも、その様な状況は決して小学生だけではなく、中・高・大学生も含めて、現在の我が国の子供から若者の中に広く蔓延している事象なのだそうです。更に、六月九日付けの北國新聞によると、殺人犯の女子児童(十一才)のホームページに「赤い部屋」という短い物語のサイトがリンクされていたということです。その「赤い部屋」は、男子生徒が背後から動脈を切られて、死亡するストーリーであるとのことです。殺人犯女子児童は、この映画を参考にした可能性があるということです。被害者御家族の御心痛は計り知ることも出来ませんし察するに余りありますが、一体どうして我が国はこの様に異常な状態になってしまったのでしょうか?
この事件に関して、識者と言われる様な人々が、それぞれコメントを発表しています。その内容が実にお粗末としか言いようがありません。
それらの多くは「命の大切さをもっとしっかりと教えなくてはいけない」という様なものです。この程度の事しか頭に浮かばない人達の言う事がそれなりに尊重されて戦後の長い期間を経てきた事こそが、この様な事件に繋がったと言っても良いと思います。
戦後の教育がどんなに偏向しているとは言っても、「人の命は軽い。だから簡単に殺しても良い」などとは教えて来なかったでしょう。今回殺人を犯した6年生児童は決して「人の命は軽い。だから殺しても良いのだ」と考えて友人を殺したと言う事では無いでしょう。問題はその様な処にあるのではなく、「人間としての最低限度の善悪の判断さえ出来ない様な教育を続けてきた事と、青少年を取り巻く環境があまりにも悪過ぎる事が最も大きな問題である」という事がどうして分からないのか?実に情けない限りと言うよりも我が国は非常に危機的な状況となっているということを深刻に認識しなくてはいけません。
「古今東西を問わず、教育は国家百年の大計」であり、「教育の原点は人間教育にある。」という極く簡単な事を忘れた教育を長期間続けてきた事が繰り返し起きる青少年の残虐な事件に繋がっている事はまず間違いないでしょう。そして長期間人間教育・道徳教育を怠ってきた上に、更に追い打ちをかける様に、実にくだらないテレビ番組や俗悪ビデオ並びに(前述の様な)ホラー映画や、有害テレビゲームが氾濫し、性や暴力を過激に扱った漫画本がコンビニ等で野放し状態となっている。それらに加えて、今回の事件の発端となったインターネットや多機能の携帯電話が小学生にまで野放しに普及?……し過ぎている。
以上の様な要因が絡まり、多くの子供並びに青少年の感性を狂わせてしまっていると言う事を深刻に認識して真剣に改善の為の努力をしなくてはいけないはずです。処が、今回の様な異常な事件が起きても、暫くの間だけで、その内にまた別の大きな事件が起きると自然に忘れ去られてしまう。その事の繰り返しです。実際、これまでに数限りなく発生した残虐な事件の後、上記の様な事が真剣に見直された事があったか?国家全体として何か具体的に大きく改善したか?規制すべき事を大きく規制したか?と言えば、殆ど何もやっていないに等しいと言わざるを得ません。規制緩和しても良い事と、逆に規制しなくてはいけない事をしっかりと識別して、政治・行政を行わなくてはいけないはずなのに、その様な判断が全くなっていません。
戦前・戦中は大切にしていた教育の基本「教育勅語」の中に「先祖を敬い、親孝行して、兄弟仲良く、友達同士お互いに仲良く助け合い、夫婦も仲良く互いに尊重し合って、お互いの足らない点を思いやりの心でカバーし合って、仲良く助け合い、一生懸命勉強し、一生懸命働いて、自分自身を向上させると共に、国家・社会に約立つ人間となりましょう。国家存亡の際には、皆で力を合わせて命懸けで国を守りましょう」という様な事が記され、教えられていました。
その様な事は人間として、日本人の一人として、何時の時代も大切な基本です。にも拘わらず、(教育勅語を)GHQに廃止させられたとはいうものの、占領を解かれた後も、その様に大切な事を、道徳教育・人間教育を疎かにしてきた戦後の政治家と官僚並びに教育関係者の罪は非常に大きいと言わざるを得ません。
更に、我が国には歴史上素晴らしい人物が非常に多くおられるにも拘わらず、それらの素晴らしい人物について、出来る限り教えなくしてきた弊害も実に大きなものがあります。(現在、我が国の教育では、東郷平八郎元帥の様に、米国や英国の教科書にでさえ載っている人物でさえも充分に教えていません。その他、我が国の歴史上、多くの素晴らしい人物が教科書から消されてしまっています。こんな馬鹿な事は常識的に考えられない事ですが、それが我が国戦後教育の実態です。)
素晴らしい人物、尊敬すべき人物の生き様を教えないで来た為に、一人一人の若者は、自分の人生において目標とすべき人物像というものが見えてこない。人間としての基軸となるものが育ってこない。その結果、精神的に非常に不安定な人間が多くなってしまっている。その上、我々の先祖が大切にしてきた日本人の心を歌った唱歌の多くを音楽の教科書から消してしまって、物事に感動する心、感謝する心、素直な心を養わない様にしてきました。更に国語の教科書からも感動する様な物語を消してしまっています。社会・地理の教科書には、(冒頭で記した様な)我が国が非常に恵まれた国であるということが記されてはいません。それどころか全く逆に「我が国は国土が狭く、山地が7割で、平野部は3割しか有りません。」という様に非常に否定的に記しています。物事の善悪をしっかりと判断させる道徳教育も長期間疎かにして来ました。この様な教育では、日本人としての自信と誇りはおろか、物事の善悪をしっかりと判断する心、他人を思いやる心、物事に素直に感動・感謝する心、良い感性も育まれるはずがありません。その様な背景があって今回の様な残虐この上ない、全く信じられない事件が起こってきているのだと思います。
我が国は、もうそろそろ真剣に目覚めないと、折角アインシュタインが褒め称えた素晴らしい国が溶けて無くなってしまう、その様な危機感を抱かざるを得ません。
しかし、ただ嘆いているばかりでは日本は決して良くなりません。せめて、我々だけでも、我々の身近に居る人達だけにでも、以上の様な問題提起を続けながら、我が国が少しでも正気を取り戻す事が出来る様に頑張りましょう。