諸橋茂一の言語道断

防衛庁リスト作成問題

去る5月28日にマスコミを通じて問題とされた「防衛庁のリスト作成問題」が6月20日、防衛庁の職員・計29人を処分する事で一応一段落ということになった。
 この件に関する防衛庁の対応は一言で言えば、実に情けないとしか言い様のない対応であった。
 5月30日付けの日経新聞によれば、「防衛庁に情報公開法に基づき資料を請求した142人全員を対象に職業や履歴などを含む個人情報リストを作成した不祥事は誠にあきれるばかりである。」 、「請求者の目的や狙いは役所には関係の無いことである。」などと実にとんでもない書き方をしている。多くのマスコミの報道や野党を中心とした多くの政治家の姿勢もその様な追求の仕方が非常に多かった。中谷防衛庁長官などはこの件が公になってすぐに、「法的に由々しき問題で言語道断だ」と述べていた。
 が、果たしてそうであろうか?中谷長官は何が問題なのか全く分かっていないのではないか?中谷長官の頭はどうかしているのではないか? この様な程度の人間が我が国の最も大切な国防を担うただ一つの官庁である「防衛庁」の最高責任者であること自体が誠にとんでもない状態であり、そのことの方が正に言語道断である。同時に、多くのマスコミや多くの野党政治家並びに多くの評論家の見識も疑わざるを得ない。
 防衛庁の立場として、軍事関連情報の請求者がどの様な人間か、調査するのは極く当たり前のことである。
 軍事情報の請求者の中には、恐らく日本共産党、(旧)日本社会党、日教組、(元)全学連各派(赤軍派、革マル派、中核派他)他、(天皇制を中心とした)我が国の国家体制を破壊して、北朝鮮や中国のように共産党一党独裁の社会主義国家を創る事が理想だと考えている反日日本人的な人間やオウム一派のような気違いの様な人間も多数含まれている可能性は大いにあると思わなくてはいけない。
 国家防衛の非常に大きな責任を担っている防衛庁としては、例えどの様なことがあっても、国防の見地から、その様な反日的日本人からも我が国を護らなくてはいけないと考えるのは極く当然のことと言わねばならない。その様な強い使命感からすれば、前記リストに記載された、それぞれの請求者が果たしてどの様な人間であるか?出来る限り調査することは極く当然のことと言わねばならない。
 資料請求者のリストを作製した自衛官はその様な強い使命感を持ってやった事であることはまず間違いの無い事であると思う。にも拘わらず、その様なリストを作製していたこと自体が問題であったかの様な考え方に基づく多数の内部処分は、真にやる気のある自衛官、真に使命感の強い自衛官の意欲を萎えさせ、やる気を無くさせてしまうことになるのは極く当然のこととなるであろう。その事の方が余程大きな問題である。
 防衛庁のリスト作製問題に付いては、その様なリストを作製した事が問題では無くて、それらのリストをLANに掲載してあった事が軽率であった、ということが問題と言えば問題ではあるが、最も大きな問題は、この様な事(リストを作製していたという事)が外部に簡単に漏れてしまった事が最も大きな問題である。
 防衛庁全体の今後における最も大きな問題は、大切且つ重要な事項が外部に漏れない様な体質を早急に確立することである。

「安部「核」発言→一体何が問題か?

 去る5月13日に安部官房副長官が、早稲田大学の授業中、ゲストスピーカーとして「………非核三原則がありますから(我が国は)やりませんけれど……(相手の力次第でそれが必要・最小限ならば)…核を使う…ことは昭和35年の岸総理答弁で『違憲ではない』とされています。」と述べた事に対して、野党や多くのマスコミは、その発言がとんでもない発言かの様に問題として何度も取り上げた。
 この発言の一体何処が問題なのか?全く理解に苦しむと言わざるを得ない。
 日本共産党や社民党は非核三原則は絶対普遍の真理であり、その考え方が最も正しい考え方かの様に主張し、社民党の土井党首などは先日の党首討論において、小泉首相に対して、「『非核三原則』を我が国は法制化すべきである」などと実に馬鹿げた主張をしている。土井党首によれば、「我が国が非核原則を法制化し、非核三原則を守りさえすれば、我が国は決して核攻撃を受ける事はない。」ということだそうである???元々社民党は(旧)社会党時代から、あまりにもピントのズレた事を平気で言い続けて来ている党ではあるが、これが我が国の公党の代表者の主張であるから誠に恐れ入ると言うか、全く情けない限りである。
 土井党首がその様な主張を真に正しいと信ずるのであれば、何故同じ事を北朝鮮や中国・ロシアに対して真剣に言わないのであろうか?
 土井党首は弁護士の資格を持っているということであるが、歴史の勉強は全くしていないとしか思えない。歴史をまともに勉強していない人間が政治家になるほど恐ろしいことはない。歴史に学ばなくてはならない事は実に多いが、特に政治に関しては、まず何にも優先して歴史をしっかり勉強し、しっかりした歴史観・国家観・世界観を持ち、強い使命感を持った人物がその任に当たらない事には全く話にならない。
 歴史を少し真面目に勉強すれば、我が国が何故昭和20年8月6日と9日広島と長崎に国際法を全く無視して米国に原爆を落とされたのか?が分かるはずである。
 多くの歴史経過があるが、最も大きな理由を挙げるとすれば、それは「我が国が米国迄届く原爆を持っていなかったからである。」もしも、その時すでに米国にまで届く原爆を保有していたならば、(我が国による原爆報復を恐れて)米国は決して我が国に原爆を落とさなかったはずである。
 その証拠に第二次世界大戦後、40年以上に亘って続いた米ソ冷戦の中で、米ソ両国共に、お互いの報復を恐れて、お互いに核は絶対に使用出来なかったのである。
 そこの処を決して間違ってはいけない。我が国は米国まで届く核を持っていなかったから原爆を落とされたのである。
 ひ弱な男が空手3段だと分かっている相手に素手で立ち向かっていくことはまずあり得ないのである。自分が先に手を出した場合、その後、相手から致命的な反撃を受ける可能性が大であれば、ひ弱な男が空手3段の実力者に殴りかかっていくことはまずあり得ない。
 核は空手など全く比較にならぬくらいに恐ろしい破壊力があることは世界の誰もが十分理解している。と同時に核の大きな抑止力に付いても、世界の何れの国も十分認識しているのである。
 我が国が核を持つ事によって国際社会における外交上の発言力は間違いなく飛躍的に高まる事は間違いのない事である。
 世界は絶対国際法によって核を禁止している訳ではないのである。(今の時点では絶対国際法という位置付けのものさえない)その証拠に米国・ロシア・フランス・中国・インド・パキスタン等が核を堂々と保有しているのである。(北朝鮮さえ保有している可能性がある)
 我が国は核を持つ権利を放棄する必要は全くないのである。逆に我が国が早く核を持つ様になる事で、初めて既核保有国に対して「我が国も核を廃絶するから世界の国々全てが核を廃絶しよう。」という呼びかけ、交渉をする事も可能になるのである。そのような状況になれば、関係各国も我が国のその様な申し入れを好い加減に扱う事は出来なくなることは間違いのない事である。
 真面目に世界から核を完全に廃絶しようと思えば、(前述の様な考え方をしっかりと明らかにした上で)我が国が核を早く保有する事が世界から早く核を廃絶出来る唯一つの方法であるとさえ言える。何故なら我が国は世界で唯一残酷この上無い核の犠牲になった国なのである。だからこそその様な主張(我が国はあの悲惨な原爆によって多くの国民を殺された唯一つの国である。あの恐ろしい原爆を世界から完全廃絶する為にその前段階として我が国はやむを得ず核を保有する事にしました。もしも、既核保有各国が、我が国に核を保有させたくないのであれば、来る○年○月までに各国共にそれぞれの保有する核を完全廃絶してもらいたい。)と言う事を我が国が真剣に説いたならば、その説得力は他のどの国がいうよりも遙かに大きな説得力が出てくるのは間違いのないところである。
 その様な観点からすれば、「世界から核を完全廃絶出来るのは我が国以外には無い」とさえ言える。もしもそれが出来たならば、その事を通じて我が国は「人類史上最大の貢献」を果たす事にもなるであろう。(但し、その一方では厳然たる核の抑止力という事も充分冷静に判断しなくてはいけない。核の完全廃絶が必ずしも世界の平和に繋がっては行かないという面も間違いなくあるのである。)
 以上の様な意味合いからも、我が国が核を保有する可能性を自ら否定する必要は全く無い。安部副長官の発言はそこまで考えたものでは無いが、基本的には全く問題の無いものである。我が国からODAを含めて6兆3,000億円もの多額の経済援助を受けながら、アジアやアフリカの多くの国々に対して何と多額の経済援助を続け、14年間に亘り、二桁の軍事費アップを続け、尚且つ核までも既に開発し相当数を既に保有している中国さえも、前記安部副長官の発言がとんでもない発言であるなどと言っている事は全くとんでもないことである。
 安部長官の発言を否定する主張をまるで正しいかの様に言い続けたマスコミ・政治家・評論家・それに中国の姿勢は全くどうかしている。全く言語道断である。

平成14年8月