諸橋茂一の言語道断

調査捕鯨の問題

 今月は「調査捕鯨の問題」を取り上げたい。米国等は我が国の調査捕鯨に対して非常にヒステリックに反対、抗議を続けている。
 一体何故、調査捕鯨に反対、抗議をするのか?
 それは「鯨は人間と同じく哺乳類であり、それを殺すのは可哀想だ、残酷だ」という理由で反対しているようである。
 それならば、何故同じ哺乳類である牛や豚を欧米人はどんどん食べているのか?全く論理が噛み合わない。
 我が国の政府は、調査捕鯨に反対する国々に対してこう反論すべきである。「あなた達の言い分は分かった。それではあなた達は何故鯨と同じ哺乳類である牛や豚等を食べるのか?あなた達が我が国の調査捕鯨に反対するのと全く同じ理由で我が国は、あなた方に牛や豚等を殺すこと、食べることの中止を申し入れる、あなた方がその申し入れを守るのであれば、我が国も調査捕鯨を止めましょう」と。
 何故そんなに筋の通った主張が出来ないのか?全く不思議でならない、というよりも我が国の外交のお粗末さに対して全く情けなくなる。
 長年続けていた捕鯨を中止して相当期間経過した為に、極く当然の理屈ではあるが、鯨の総数が相当増えているということである。その為に海の生態系が既に変わって来ているということである。
 北西太平洋においては、昔オキアミを主に食べていた鯨が今はイワシ、サンマ、サバ、スルメイカ、スケソウダラ、サケ等人間が食用としている魚をどんどん食べているということである。人間が食べる魚は年間で総数約1億トンということだが、鯨は何と年間4億トンもの魚を食べているという。
 ペリーが1853年浦賀に来航し、我が国に開港を迫ったのは、米国の捕鯨船の水や食料を積み込む港が欲しかった為、というのは衆知の事実である。そのような経過を含め、欧米は長年我が国と同様鯨を捕り続け、しかもそれらの鯨からは脂だけを取って残りは捨ててしまうというとんでもなくもったいない処理をしていたのである。それに比べて我が国は鯨の全てを無駄なく活用していたのである。
 自分達が、その様に出鱈目な捕鯨を続けてきていたのを全く棚に上げて、我が国に対し調査捕鯨さえも禁止しようとして、あらゆる強硬な圧力をかけてくることは、全く言語道断である。なお且つ、その様な理不尽な圧力に対して適切な対応さえ取れない我が国の政府、並びに外務省の弱腰、お粗末さも全く言語道断である。
 しかも調査捕鯨は、国際捕鯨条約で認められていることであり、鯨の増加状況並びに鯨が食べている内容物を含めた鯨の生態系をしっかりと調査し、海洋資源全ての動向を充分確認した上で、今後本格的な捕鯨の再開の是非についての判断をする上でも、調査捕鯨はどうしても必要なことなのである。
 ちなみにIWC(国際捕鯨委員会)は、1990年時点で南太平洋のミンク鯨は76万頭以上いるとの結論を出しているとのことであり、その内、我が国が調査捕鯨で捕っているミンク鯨は年間440頭以内、北西太平洋では、180頭以内に過ぎないということである、米国等が絶滅種だと騒いでいるマッコウ鯨は北西太平洋で102,113頭、ニタリ鯨は21,901頭もいるとのことである。
 昔、アザラシの毛皮を売って生計を立てていたカナダのイヌイット族に対し、アザラシの捕獲を禁止した処、アザラシが増え過ぎてしまい、増えたアザラシがタラをどんどん食べ過ぎる為に、タラが激減し、その為結果的には昔約200万頭いたアザラシが今はもう50万頭くらいに減ってしまっているということである。
 そのことを鯨に当てはめて考えて見た場合、長期間捕り続けて来た鯨を今後長期に亘って捕らない状況を続けると、鯨が小魚を食べ過ぎて、人間が食用としている魚が激減するだけではなく、結果的に鯨の食用となる小魚の激減の為に、鯨そのものがアザラシと同様に激減するということも充分考えられるのである。
 政治とはその様なことも十分長期的多面的に見ながら、総合的に判断して適切に対応して行くべきである。なお且つ国益というものも充分踏まえた対応、外交を進めて行くべきである。
 あまりの勉強不足と、使命感、気概の欠如の為に、日本国の政府、外務省として適切な対応、外交が出来ないことは実に情けない限り、全く言語道断である。

平成13年2月